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全身麻酔が怖い。
医療ミス云々の話ではなく。
一瞬で意識がなくなって、目覚めたら
全部が終わってるなんて怖すぎる。
しかもガスを吸うという形態が怖い。
自発呼吸もなくなるし、臨死体験というか
臨脳死体験みたいな感じだろうか。
一回体験したら平気になるのかもしれないけど、
幸い入院も手術もしたことないから想像もつかない。
でもこれから先、何があるか分からないし、
大きな手術を経験する可能性は大いにあるだろう。
来年かもしれないし、20年、30年後かもしれないけど。
自動車免許もとるし、自分の体とか命のことを
ますます考えなくちゃいけないと最近よく思う。
たとえば臓器提供の意志表示とか。
臓器提供については、本人が生前にその意思があっても、
遺族が嫌がることもある。脳死の場合は特に多い。
脳死は体の器官は活動できる状態で、酸素を肺に送っていれば
しばらくは生命活動(と言っていいのかわからないが)が維持されるが、
脳は生命維持の機能をほぼ無くし、意識が戻る可能性はなく、
今のところ「人の死」のひとつの基準になっている。
生命維持装置をつけた脳死患者は、体も温かく、
心臓は鼓動を続ける。
外見上は眠っているかのように見える。
けれども、目を覚ますことはない。
そんな状態の家族の死亡を認め、臓器を取り出すことを了承するか。
その決断を親族はしなければいけない。
それも、生死をかけた手術の間待ち続けた果てに。
たとえ脳死は不可逆的な状態だとよく知っていても、
簡単に決断できることではない。
でも、移植を待ち望む人と家族も、
同じように喪失を恐れているということを忘れてはいけない。
もし、家族が移植手術を受けなければ生きられないとしたら、
私はドナーが現れてくれることをこれ以上ないほど切望するに違いない。
私に限らず、誰しもそうだろう。
そして、運よく移植を受けられたら、その背景にドナーの存在、
ドナーの家族の存在が必ずある。
決断をした家族が存在するのだ。
倫理的な問題だから何が正しい、というのは難しいが、
両方の立場をよく考えなければいけない。
もちろん、勝手なことを言えば、
何事もないに越したことはないけれど。
医療ミス云々の話ではなく。
一瞬で意識がなくなって、目覚めたら
全部が終わってるなんて怖すぎる。
しかもガスを吸うという形態が怖い。
自発呼吸もなくなるし、臨死体験というか
臨脳死体験みたいな感じだろうか。
一回体験したら平気になるのかもしれないけど、
幸い入院も手術もしたことないから想像もつかない。
でもこれから先、何があるか分からないし、
大きな手術を経験する可能性は大いにあるだろう。
来年かもしれないし、20年、30年後かもしれないけど。
自動車免許もとるし、自分の体とか命のことを
ますます考えなくちゃいけないと最近よく思う。
たとえば臓器提供の意志表示とか。
臓器提供については、本人が生前にその意思があっても、
遺族が嫌がることもある。脳死の場合は特に多い。
脳死は体の器官は活動できる状態で、酸素を肺に送っていれば
しばらくは生命活動(と言っていいのかわからないが)が維持されるが、
脳は生命維持の機能をほぼ無くし、意識が戻る可能性はなく、
今のところ「人の死」のひとつの基準になっている。
生命維持装置をつけた脳死患者は、体も温かく、
心臓は鼓動を続ける。
外見上は眠っているかのように見える。
けれども、目を覚ますことはない。
そんな状態の家族の死亡を認め、臓器を取り出すことを了承するか。
その決断を親族はしなければいけない。
それも、生死をかけた手術の間待ち続けた果てに。
たとえ脳死は不可逆的な状態だとよく知っていても、
簡単に決断できることではない。
でも、移植を待ち望む人と家族も、
同じように喪失を恐れているということを忘れてはいけない。
もし、家族が移植手術を受けなければ生きられないとしたら、
私はドナーが現れてくれることをこれ以上ないほど切望するに違いない。
私に限らず、誰しもそうだろう。
そして、運よく移植を受けられたら、その背景にドナーの存在、
ドナーの家族の存在が必ずある。
決断をした家族が存在するのだ。
倫理的な問題だから何が正しい、というのは難しいが、
両方の立場をよく考えなければいけない。
もちろん、勝手なことを言えば、
何事もないに越したことはないけれど。
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