忍者ブログ
音楽制作、Webデザイン(HTML,CSS,JavaScript)、プログラミング(Java,C,PHP)、日常の話題を集める「情報ターミナル」
ブログ内検索
アンケート実施中です
Creative Commons
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
当ブログのすべての コンテンツは クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 2.1 日本 ライセンスの下に利用可能です。 他サイトからの引用につきましては、引用元サイトの権利に準拠します。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

この記事は役に立ちましたか?あなたの1クリックに励まされます!              

Powered by NINJA TOOLS
PR

この記事は役に立ちましたか?あなたの1クリックに励まされます!              

全身麻酔が怖い。
医療ミス云々の話ではなく。

一瞬で意識がなくなって、目覚めたら
全部が終わってるなんて怖すぎる。
しかもガスを吸うという形態が怖い。

自発呼吸もなくなるし、臨死体験というか
臨脳死体験みたいな感じだろうか。

一回体験したら平気になるのかもしれないけど、
幸い入院も手術もしたことないから想像もつかない。

でもこれから先、何があるか分からないし、
大きな手術を経験する可能性は大いにあるだろう。
来年かもしれないし、20年、30年後かもしれないけど。

自動車免許もとるし、自分の体とか命のことを
ますます考えなくちゃいけないと最近よく思う。
たとえば臓器提供の意志表示とか。

臓器提供については、本人が生前にその意思があっても、
遺族が嫌がることもある。脳死の場合は特に多い。

脳死は体の器官は活動できる状態で、酸素を肺に送っていれば
しばらくは生命活動(と言っていいのかわからないが)が維持されるが、
脳は生命維持の機能をほぼ無くし、意識が戻る可能性はなく、
今のところ「人の死」のひとつの基準になっている。

生命維持装置をつけた脳死患者は、体も温かく、
心臓は鼓動を続ける。
外見上は眠っているかのように見える。
けれども、目を覚ますことはない。

そんな状態の家族の死亡を認め、臓器を取り出すことを了承するか。
その決断を親族はしなければいけない。
それも、生死をかけた手術の間待ち続けた果てに。

たとえ脳死は不可逆的な状態だとよく知っていても、
簡単に決断できることではない。

でも、移植を待ち望む人と家族も、
同じように喪失を恐れているということを忘れてはいけない。

もし、家族が移植手術を受けなければ生きられないとしたら、
私はドナーが現れてくれることをこれ以上ないほど切望するに違いない。
私に限らず、誰しもそうだろう。

そして、運よく移植を受けられたら、その背景にドナーの存在、
ドナーの家族の存在が必ずある。
決断をした家族が存在するのだ。

倫理的な問題だから何が正しい、というのは難しいが、
両方の立場をよく考えなければいけない。

もちろん、勝手なことを言えば、
何事もないに越したことはないけれど。

この記事は役に立ちましたか?あなたの1クリックに励まされます!              

  • :
  • :


お役に立てました?
よろしければ応援の1clickをお願いします(*^^*)




blogramのブログランキング

にほんブログ村 デザインブログ Webデザインへ


ブログランキング・にほんブログ村へ
順位はこちら。
いつもありがとうございます。
忍者AdMax

ローテックな最先端 Produced by たんたん      Designed by ninja-blog.com
忍者ブログ [PR]
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...